バスケットボールの歴史を簡単解説!最初はめちゃくちゃなスポーツだった?!
バスケットボールは海外で始まったスポーツで、その歴史は100年以上続いています。事実、今ではすっかり定番の競技として定着し、世界中に数え切れないほどのファンを持つスポーツとなっています。
しかし、そんなバスケットボールも考案された当初は何から何までめちゃくちゃだったそうです。現在ではルールも洗練され、より競技として確立されています。その一方、当時は未開発の部分も多く、今では考えられないようなスポーツだったのだとか!
今回の記事ではそれらバスケットボールの歴史を簡単に解説します。中でもスポーツとして発展する前のバスケットボールがどのようなものだったのか紹介するので、ぜひ気になる方はチェックしてみてください。
バスケットボールは1人の発案から生まれた
バスケットボールは1人の体育教師によって考案された競技です。その考案者は国際YMCAで体育教師を務めていたカナダ人、ジェームズ・ネイスミスだとされています。
当時、彼はアメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドにある国際YMCAで体育教師を務めており、1891年にバスケットボールの原型を生み出した人物とされています。
つまり、バスケットボールというスポーツはある1人の体育教師によって生み出されたものなのです。それが今では全世界へと広まり、熱狂的な人気を博しています。そう考えるとバスケットボールは他の競技とは一線を画す特殊な歴史を持っているわけです。
逆に言えば、現在進行形で体育教師を務めている方たちも自分で考えたまったく新しいスポーツが世界的な競技となる可能性もあります。それら既存の競技にはないスポーツを生み出すというのも、面白い取り組みと言えるかもしれません。
当時はレクリエーションの一種だった?
1981年の夏、国際YMCAのトレーニングスクールでスポーツ指導者の講習会が開かれました。
当時、全米各州に設置されているYMCAでは屋内での運動も行われていたのですが、どうしても夏季に比べて冬季は屋内でしかスポーツができず、学生たちの意欲も低かったと言われています。そのため、次第にレクリエーション的かつ競技的な要素を含むプログラムが求められるようになったのだとか。
そんな中、同じく1891年の秋、体育教師主事を務めていたL.H.ギューリックは5人の体育教師を集めて会議を行います。その結果「もうこれは新しいスポーツを生み出す他ない」という結論に至ったそうです。その際、体育教師の1人だったジェームズ・ネイスミスは積極的に発案して新たな競技が生み出せないか試行錯誤したとされています。
当初、彼はサッカーやアメリカンフットボール、ラクロスなど既存のスポーツを屋内競技として取り入れようとします。しかし、やはりもともと屋外で行うゲームを屋内でやってもうまくいきません。そこで彼は各スポーツの要素を取り出して合体させることを思いつきます。
「ボールを使用する競技にしよう」「ラフプレーは取り除こう」「タックルもない方が良いな」……そうして彼は試行錯誤を続け、バスケットボールの原案を完成させたのです。
ちなみに、このバスケットボールの原案は彼が少年時代を過ごしたカナダの「タグ(鬼ごっこ)」「ダックオンザロック(的当て)」からインスピレーションを受けたとされています。
時代とともに屋内スポーツとして発展した!
ジェームズ・ネイスミスが当時提案したルールは8個~13個ほどあったのだとか。それが時代の変化とともに屋内スポーツとして進化したと考えられています。
事実、バスケットボールは100年以上の歴史の中で改良され、現在ではそのルールも約250個にまで及んでいます。一見すると「ちょっとルールが多すぎない?」と思うかもしれませんが、それほどバスケットボールというスポーツが競技として進化してきた歴史を物語っていると言えるかもしれません。
ただ、実は彼が考案したバスケットボールの試合形式については基本的に変わっていないそうです。
バスケットボールにまつわるトンデモ話
バスケットボールは今でこそ洗練されたエンターテイメントスポーツとして人気を博していますが、発案された当時はトンデモ話のオンパレードだったとされています。例えば、以下のような話があります。
- ①:最初は9人制で試合が行われた
- ②:過去には50人制で行われた試合も
- ③:ゴールはもともとただの籠だった
- ④:バックボードもただの金網だった
以上のエピソードからもわかるように、バスケットボールが現在のような形で確立されたのは最近になってからだと言えるのです。そこも含めてバスケットボールの歴史として知っておくと面白いかもしれません。
最初の9人制で試合が行われた
バスケットボールが考案された1891年、その同年12月に本格的な試合が開催されました。
しかし、当時国際YMCAで行われた初めての試合は各チーム9人ずつに分けて行われたそうです。各チーム9人といえば野球の試合を想像するとわかりやすいかもしれませんが、合計18人となると結構な大所帯です。それが11m×15mのフロアで行われたというのだから驚きを隠せません!
その際、使用されたボールもサッカーボールだったとか。それでいて想定していた形状のゴールも用意できなかったため、桃を入れる籠を体育館のバルコニーに設置して代用したと言われています。まさに発展途上スポーツと言える状況だったわけです。
ただ、その桃の籠(バスケット)を使用したからこそバスケットボールと命名されたのも事実です。漢字表記の籠球も同様の由来や語源を持ちます。逆にもし別のものを使用していたら……バスケットボールという名前も存在しなかったのかもしれません。
過去には50人制で行われた試合も
バスケットボールはもともとレクリエーション的な要素が強かったことから、当時はプレイヤーの人数にも規定がありませんでした。
実際に過去には50人制で行われた試合もあるくらいです!
発案者のジェームズ・ネイスミス自身が「両チームが同人数であれば問題ないだろう」と考えていたため、コーネル大学で50人対50人で試合が行われるという事態になってしまったのです。
しかし、さすがに1試合で100人規模のゲームとなると大変です。当時の担当者だったE・ヒッチコックも「体育館が破壊されかねない」と語るほどだったとか。そんな逸話まで残っているほど、当時のバスケットボールはとにもかくにもめちゃくちゃだったのです!
その後、さすがに人数制限がないと試合自体が破綻することも考慮され、フロアの大きさに合わせて「5人・7人・9人」と制限がかけられるようになったとされています。
それらの珍事を乗り越え、現代バスケットボールとしての基礎が完成したのは1897年に入ってからのことだったとか。
ゴールはもともとただの籠だった
前述の通り、当初バスケットボールに使用されていたゴールは単なる桃の籠でした。その後は改良されたものの、それでも当時は穴の空いていない籠をそのまま使用していたそうです。
実際に底に穴の空いていない籠を使用していたため、シュートが決まる度に梯子や棒を用いてボールを取り出していたとか。そう考えると昔のバスケットボールはスピード感のない競技だったと言えるかもしれませんね。
ちなみに、現在のような穴が空いているゴールは1912年~1913年に導入されたと言われています。
バックボードもだたの金網だった
バックボードも当時はただの金網を使用していたとされています。ただし、当時一気に人気が爆発したバスケットボールは観客が手すりや欄干から手足を伸ばして妨害する行為が相次いだため、遮蔽物の設置が検討されたそうです。
そこで設置されたのが金網でした。そうまでしないと興奮した観客がやりたい放題してしまうほど……バスケットボールは熱狂的なスポーツにまで発展したわけです!
もちろん、いつまでも金網を使用するわけにはいきません。そこで新たに考案されたのが木板でした。実際にゴールとは別途で木板が設置され、観客の妨害行為もなくなったとされています。
その反面、それら木板は逆に「観客からプレイが見れない」という事態も招いたため、次第に透明のプラスチック板へと変化したとされています。それらエンターテイメント要素も盛り込みながら、バスケットボールは進化してきたスポーツということです。
まとめ
バスケットボールの歴史は1891年から始まりました。しかし、当時は現代のバスケットボールのような洗練されたものではなく、あくまでもレクリエーション的な要素のスポーツだったとされています。しかも、当時はルールも定まっておらず、めちゃくちゃな要素満載の競技だったとか。
バスケットボールが好きな方は、それらの歴史も知っておくと面白いかもしれません。なお、バリューワークスではそんな面白いエピソードが詰まったバスケットボールの指導も行っております。熟練した講師陣が「時には優しく時には熱く」指導しているので、興味のある方はぜひ当スクールまでお問い合わせいただけると幸いです。
スポンサーリンク