ビジョンのの掛け違い
「〇〇コーチに教わりたくて入会したのに、大学生コーチが指導する時間があり満足出来なかった。
赤津さんは子供達の成長に無責任だ。まったく理解出来ない。」
そう言われ私は気が付く事ができました。
「この方とは描いているビジョンが違うんだ」
と。
ビジョンとは自分があるべき姿です。つまりビジョンとは未来です。
その未来を実現しようと意思決定し行動することで責任が生まれてきます。
つまり、
責任の源泉はビジョンにあり、
ビジョンなくして責任は生まれない
と気がつくことが出来ました。
私は「選手とコーチが共に切磋琢磨し、互いに成長し続ける組織」を創りたい。
でも、きっとその方のビジョンは違う場所にあるんだろうと思いました。
ここまで頑張っても責任感がないと言われるということは、互いに描くビジョンが違うのだろうと気が付きました。
だから、私のビジョンはそこにはない。つまり、責任が無い。無責任ということなのです。
私は娘にも体操教室やダンススクール、bjアカデミー、川崎ブレイブサンダースのスクールと様々な習い事をさせていますが、コーチが高校を卒業したてでも、スクールのコーチが突然変わっても、指導に未熟さを感じることがあっても、「我が子と共に成長してほしいな」という気持ちで見守っています。
それは私にコーチも育ってもらいたいというビジョンがあるからです。
たまに振る舞いや指導方法について介入したくなりますが、それはぐっとこらえています(笑)
ビジョンあれば、必ず責任感が生まれます。
どんな事があっても信念と覚悟を持って取り組める責任を手に出来ると改めて感じる出来事になりましま。
ビジョンと願望
ビジョンとは自分がどう有りたいかを描くことです。
そしてそれは人のためにどう有りたいかという姿でなければなりません。
「金持ちになりたい」「モテたい」「有名人になりたい」
これはビジョンではなく自分の願望です。
人の為にと描いた未来の姿。それがビジョンであり、その姿にたどり着けるように意思決定を行えることが、私は素晴らしい生き方だと思います。
そして、ビジョンが違うもの同士は、意見が食い違うことも多いでしょうが、
お互いに尊重し合うことで共に歩むことが出来ると思います。
尊重しあえなかったら、無理して一緒に歩む必要はなく、
別々の道を歩むことがお互いのためではないかとも思っています。
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